無気力で大学に行かなかった1年生の後期に学んだこと。

こんにちは。大学3年のダイキ(@daiki)です。

皆さんは「無気力」になりやすいタイプですか?

私は大学1年生の後期に激しい無気力に襲われました。

ここで私が伝えたいことは

無気力は心の抵抗であり、未来を開くヒントかもしれない

ということです。

 

今回は以下の人に向けて書いていきますね。

  • 授業にいくのが辛いと思う人
  • 自信が持てない人

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大学に行けなくなった大学1年生の後期

私は大学1年生の後期に大学へ行けなくなりました。詳しくいうと授業に出席するために大学へ行けなくなりました。行けない理由は「いきたくない」という極めて精神的なものでした。引きこもり気味になりました。授業を受けることに対して極めて無気力になったのです。ここで私が伝えたいことは無気力が悪いということではありません。どうして無気力なのか、自分自身と向き合わなければいけないということです。

大学1年生の後期といえば私がカンボジアに行った直後の話です。

関連記事:大学1年でカンボジアに行って得た1つのこと。

大学へ行けなくなるほどに無気力になった要因は2つあります。

  • 自分発信の要因
  • 外から向けられた要因

これら2つです。

大学へ行けなくなった自分発信の要因

カンボジアに行く、初めて海外に行く、夢だと思っていたアンコールワットに行く、たくさんの挑戦要素が詰まった夏休みをあけた時の話です。

ある村で、インタビュー活動をした時の一枚

 

私は夏休みに「心からやりたいこと」に思い切り挑戦したのです。帰国すると完全燃焼のような気分になりました。それは、「なにか大切なことを知った、というかそれに包まれたような」気になっていたのです。今大学に行って日常に戻ってしまったらカンボジアに行く経験を通して得た「何か大切なこと」を失ってしまうのではないかと思ったのです。そう思うと授業にいきたくないと思うようになりました。そして「何か大切なこと」の何かがとても知りたかったのです。これは、授業に出てる時間があったらこっちのことを考えたいと思ったのです。

「あ〜授業なんて出ている場合ではない・・・」

 

大学へ行けなくなった外から向けられた要因

授業に出なくなった私はたくさんの人から「授業にでないのはおかしい」「不真面目になった」と言われるようになりました。当時、自信がなかった私は「おかしいのかな」と自分に対しさらに自信がなくなり、自己肯定感も低下していきました。

この外面的要因により自信を無くしましたが考えたこともあります。それはなぜ「授業に出ることが正しいのだろうか」ということです。このような根本的問題を考えるようになりました。

 

大学に行けない生活の中で。

すごく精神的に「自分はおかしいのではないか」と苦しかったのを覚えています。答えが出ないことで悩んでうつ気味だったのではないかと今では思います。それでも大学へ行けない生活の中で私は次のことを始めました。

  1. 考えること
  2. 本を読むこと

 


1,考えること。

カンボジアに行ったことは私にとってどんな意味があるのか、考え続けました。年が明けた2016年の1月くらいに「常識を疑うこと」だったかもしれない、ということを見出しました。

関連記事:大学1年でカンボジアに行って得た『常識を疑う』ということ。

2,本を読むこと

神道と仏教について当時読んだ本の一部

読書なんて全然してこなかった私ですが、興味が出た分野の本を読むことを始めました。カンボジアで感じた宗教観から日本の宗教に興味を持ちました。神道と仏教について本を数冊づつ読んでみました。そこから日本の神話のスポットを巡る中国地方の旅に繋がりました。そしてここで勉強した仏教は「世界三大仏教寺院の残り2つをみてみたい」という興味に繋がりました。2017年春・ミャンマーバガン遺跡、夏・インドネシアのボロブドゥール遺跡を訪れました。

 

無気力という心の抵抗を見逃すな

「大学に行きたくない」や「部活に行きたくない」「サークルに行きたくない」という普通に過ごしていたことが無気力になった時、心が抵抗しているのかもしれません。これを見逃してはいけません。私は大学1年生の時「大学へ行きたくないから行かない」という選択をしました。それが今まで想像もつかなかった未来を切り開きました。

 

 

これはあの時、無気力である自分にしっかり向き合ったからこそ、心の抵抗に気づくことができたのだと思います。

 

大学は何をする場所か。

大学は何をする場所でしょうか。「自分はどう生きたいのか」考えて行動に移していく場所だと思います。それ故に「授業に出ることが正義」ではないんです。授業を休んでもやりたいことがあるのであるなら、そっちにアプローチをかけるべきなんです。

教師を目指して入学した人が、いやまてよ教師じゃなく作家かもしれないと思ったらそっちに「飛び込んでみる」というアクションが必要なのです。そこでアクションを起こしてみなければ何も得ることができません。

誰もが「よりよく生きて行きたい」と考えるはずです。よりよく生きるには勇気が必要なんだと思います。アクションを起こす勇気です。

そういった意味では「大学に行きたくないという無気力」に向き合った時間というのは精神的に辛かったですが、大切な時間だったように思えるのです。実際にこれからのやりたいことにも繋がっています。

 

やはり常識なんてないのではないか。

私の周りの人にとっては「授業に出ることは常識」なのかもしれません。しかし、私はその常識に直感的に背いてみました。その行動は今の私を創っています。決して後悔はありません。

関連記事:授業で帽子を取るのは常識ですか?

もし常識が正しいものなら、その常識に背いた私は後悔することになるのではないかと思います。しかし私は「授業に出る」という常識に背いた結果、今の私を誇りに思っているのです。このように考えるとやはりそもそも、常識なんてないのではないかと思うのです。

もし、無気力になったら

もしあなたが無気力になったら一度立ち止まって自問してみてください。

「どうした自分?」って。

無気力と向き合うことで新たな道が開けるかもしれません。無気力は不定の可能性を含んでいると思います。

 

だから、「無気力は心の抵抗であり、未来を開くヒントかもしれない」のです。