九州に行ったら5年ぶりに泣いた。知覧で特攻を知る。
九州に行ったら5年ぶりに泣いた。知覧で特攻を知る。
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九州に行くならここを見ずして、帰れない。
こんにちは。ダイキです。8月後半から9月前半にかけて初めて九州に行きました。足を踏み出したいと思っていた九州、念願が叶いました。九州を一周しました。(しかしなんと、大分だけ行っていないのです。なので約一周ですね。今度は中津の唐揚げでもたべたいです・・・。)おっと、話がそれそうです、戻しましょう。
今回私がどうしても伝えたいスポットは鹿児島県 南九州市 知覧町にある「知覧特攻平和記念館」です。ここに行かずして、九州は語れない、と思いました。
知覧特攻平和記念館とは
この記念館は知覧飛行場の跡地に建てられました。知覧飛行場では戦闘機のパイロットを育成していました。しかし、太平洋戦争の末期、沖縄を責められて追い詰められた日本軍は「特攻」を開始。本土の中でも沖縄から近い位置にあった知覧飛行場は、特攻基地として機能するようになりました。
知覧からは439名の特攻隊員が飛び立ち、帰らぬ人となりました。そして戦後この事実を語り継ぐために知覧特攻平和記念館が建てられました。施設内は、戦闘機、特攻隊員の遺書や血書など貴重な資料が展示してあります。

そもそも特攻とは
特攻とは、特別攻撃のことです。太平洋戦争末期、追い詰められた日本軍がとった苦肉の策、体当たりによる自爆攻撃でした。爆弾を飛行機や船に積んで、敵に体当たりして特攻隊員たちは死んでいきました。
涙が流れた
私は施設に足を踏み入れると一瞬にして感情的というか感情むき出し状態になってしまいました。涙が止まらないんです。本当に。特攻隊員の多くは10代後半、20代前半。私と同じ年頃なんです。彼らはある日いきなり「明日出撃しろ」と宣告され、親や兄弟に心配をかけないために次のように振舞います。「日本のために行って来ます。お母さん、お父さん靖国神社で会いましょう。」「兄弟たちには明日の日本を託す。」と強がったそうです。しかし、ベットの中では布団をかぶり、声を押し殺して泣いていたんだといいます。

特攻隊員が一番怖いと感じる瞬間は飛行機に乗り込む時、「足」が地面から離れる瞬間なんだそうです。私は感情移入します。どんな気持ちで自分自身や親や兄弟と向き合っていたのかと考えると、涙が止まらなくなるのです。遺書がたくさん展示してあります。どんな気持ちで書いていたのだろうと想像しながら読むのですが、明日にも命が尽きる特攻隊員の心情を考えると涙が溢れ読めなくなります。
私の他にもたくさんのお客さんがいて、多くの人が涙を流しているんです。今まで見てきた戦跡の中では異様な雰囲気でした。特攻については知っていましたが、人々の心情や行動に着目したことがありませんでした。むしろこれが大切なのかなと思いました。
特攻の時代があるからこそ今がある。
知覧特攻平和記念館を見る価値は今自分が立っている世界を知れることにあります。特攻という手段を用いてしまった時代、若者が「国のために」と死んでいってしまった時代があるからこそ、今の日本、今の自分があると知ることができます。特攻があったことを肯定しているのではありません。今の自分の環境は偶然なのではなく、先人が必死に生き抜いてきたからこそ、存在しているということなのです。
私は旅をすることが好きです。この知覧特攻平和記念館に行ったのも旅です。しかも自由で好奇心に身を委ねた旅です。
明日の自由、さらには命さえ保証されない時代があったこと、身を持ってしりました。旅ができていることは当たり前のことではなく、とても幸せなことだと気付きました。歴史があって今がある、今この瞬間は当たり前ではないのです。
それを知れるのが、知覧特攻平和記念館でした。

みなさんにとって「平和」って何ですか?
「やばい」をつかっていけない2つの理由。
「やばい」をつかっていけない2つの理由。
こんにちは。大学3年のダイキ(@daiki)です。
最近、「やばい」という言葉にすごく敏感になりました。大学にいても駅で電車を待っている時でも「やばい、やばいよね? やばくね?」とどこからともなく「やばい」が飛んできます。やばいを使っている人は、正直やばいと思うのです。(気を悪くしないでね)
今回は以下の人に向けて、ブログを書いていきます。
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若者言葉という認識
まず「やばい」に対し若者言葉という認識はありませんか?
若者言葉、または流行語といってもいいかもしれませんね。これは事実だと思います。しかし「事実」を「認識」にしていいのでしょか?
「やばい」をつかっていけない2つの理由
やばいをつかうことで2つの悪いことが起こります。
- 感じたことを伝えにくい
- 無意識に(考えずに)つかうことによる語彙力低下
この2つが起こります。現に僕の周りでは起こっています。ここに危機感を覚えているのは僕だけなのか・・・。恐ろしい。
では2つの理由をみていきましょう。
感じたことを伝えにくい
まず、やばいの本来の意味を押さえておきましょう。
本来の意味は「あぶない」、「不都合」を表す。語源は「盗人」の隠語だった。語源由来辞典
以上が本来の意味です。本来はマイナスな意味でつかわれていたわけですね。今日つかわれている「やばい」の意味は多岐にわたります。(わたりすぎです。鳥肌が立つ・・・)
現在のやばいの意味を考えてみました。
- おいしい
- まずい
- 熱い
- 寒い
- つらい
- うれしい
- かっこいい
- かっこ悪い
少し思い出すだけでもこんなにあります。色を分けて書いてみたんですけど、気づきますか? プラス.マイナス正反対の意味で使うことができるんですよ。厄介ですね。
<やばいをつかうことで陥るワナの例>
A君はB君が作ってくれた料理が美味しくて「これやばいね」といったとします。いわれたB君は「は?まずいの?」と嫌な気持ちになりました。本来マイナスな意味につかわれるやばいですので、美味しいという気持ちが伝わらないんですね。
やばいって言葉の意味が多岐に渡りすぎて、言葉をしっかり補わなければ、または聞き手がイメージを膨らます努力をしなければ意味が伝わらなくなります。
無意識に(考えずに)つかうことによる語彙力低下
多くの人は無意識に「やばい」をつかっています。(そうですよね?)その理由は便利だからです。ひとこと「やばい」といっておけば、多くの意味が含まれるので、通じるだろうと思ってしまうのですわ。しかも多くの人がつかっているというのもポイントの一つでしょう。

先ほどの例から考えてみても、寒いことを「寒い」、美味しいことを「美味しい」と表現すれば伝わるはずです。やばいといってしまう人は、美味しいことを「美味しい」と認識するステップを踏まずにすぐに(または無意識に)やばいと変換しています。
つまり心で感じたことが何なのか考えてないんです。わかりやすくまとめてみます。
この「なぜ?」というステップを踏むことで思考し、感じたことが相手に伝えるための言葉に加工されるわけです。これは想像以上に大切なことです。
この思考のステップを簡単に省くことを可能にする「やばい」は、感じたことが何なの考える思考力を低下させます。それを言葉に当てはめる語彙力も低下させます。もし学校の先生や親が「やばい」をつかっている場合は最悪です。目の前にいる子どもの思考力と語彙力が育たなくなります。「やばい」とは「馬鹿になる言葉」なんです。
したがって、やばいはやばいのです。
(正しくない意味でつかう場合のみ。)
やばいをつかわない生活へ
「やばい」の危険性がわかると、人が「やばい」を発言した時に耳につきます。「あ、あの人やばいを言ってしまったなと」「しかも無意識につかっているぞと」。人が言った時にアレルギー症状さえ出現したらあなたは変わり始めています。実際に「やばい」と言いかけた時、他の言葉はないか?と考えると、「美味しいだ」と言葉が見つかります。こういうサイクルをしていけば、あなたの発言は相手に確実に伝わるようになります。そして、あなたの言葉の解像度が一気に上がります。
やばいをつかわない社会へ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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